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十三代目 守田 勘彌(じゅうさんだいめ もりた かんや、新字体:勘弥、1885年(明治18年)10月18日 - 1932年(昭和7年)6月16日)は歌舞伎役者。屋号は喜の字屋。定紋は丸に中が瓜実の片喰、替紋は喜の字丸。俳名に秀可・秀歌・是水など。本名は守田 好作(もりた こうさく)。 == 来歴 == 歌舞伎役者で、新富座(旧守田座)の座元も兼ねて名興行師と呼ばれた十二代目守田勘彌の次男として東京に生まれる。明治23年(1890年)12月新富座『ひらかな盛衰記』「逆櫓」の遠見の船頭で三代目坂東三田八を名乗り初舞台。その後子供芝居などで修業を積む。明治39年(1906年)11月新富座「十二代目守田勘彌没後十周年追善興行」で、十三代目守田勘彌を襲名。以後、帝国劇場や市村座などで活躍。一方では六代目尾上菊五郎らと黒猫座を結成し新劇運動にも加わり、大正3年(1914年)からは翻訳劇と新作を専門に公演する研究劇団文芸座を設立・主宰した。 昭和7年(1932年)1月歌舞伎座『名橘誉石切』(石切梶原)の六郎太夫と『網模様燈籠菊桐』(小猿七之助)の初五郎が最後の舞台となり、同年6月に死去、48歳だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「守田勘彌 (13代目)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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